049 十代を考えてみました。



わたしが十代の頃、

校舎の窓ガラスは割りませんでしたが、
机やいすを投げたりしてました。

授業はよく抜けだして、近所の米軍住宅跡地を
ぶらぶらしてました。

授業の内容ではなく、
授業中読んでいたマンガの内容を
いまでも思い出すことができます。


いま、「十代を真剣に考える」と言うテーマで
今度わたしが講師を務める講演のための
原稿を書いています。
 ↓
十代を真剣に考える1日


自分の十代はどうだったか思い返すと、

ううーーーーーバカだ。

頭を抱えてしまいます。



ただ、そのころから、
学校で行われている教育のやり方は
うまくいってないんじゃないか?
とぼんやりと思っていました。



「勉強」とは
知識や技術を身につけて、なにかをできるようにする。
という活動です。

何かを勉強して、何かができるようにならなかったとしたら、
それには原因があります。

その原因と対処法が分かれば、
最終的に、何かができるようになるところまで、
持っていくことができます。

今はその対処法が分かります。


でも当時は、知識を身につけることができずにいて、
対処法もわからず、
「勉強」からなんとか逃げ出そうと一生懸命でした。


「勉強の技術」にある、「誤解語」についての知識を
当時知っていれば、
もっとまともな時間を過ごせたのになと思います。


後悔していても仕方がないので、
いま十代の人、また、そのほか多くのかたがたに、
この知識を知っていただきたいと、
今わたしは、原稿を書いています。





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