025 村田の高校時代


昼休みのあとの、5限目、窓の外は、空の青さと緑が、まぶしい。
教室の中は、そのまぶしさの影になって、暗さが際だつ。

教室の前では、先生が、黒板に文字と記号を書き続けている。
まわりの生徒たちは、先生が消す前に書き取らねばと、
必死になってそれをノートに書き写している。
わたしは、少しずつ意識を失っていき、
気がつくと、机の上に池を作っていた。

授業時間が終わり、帰宅する。

自分の部屋の中で、自転車を、点検し調整する。
自転車と言っても、わたしが使っていたのは競技用の自転車で、
へたなバイクよりも高価なものだ。

何冊かあるマニュアルに従って、数ミリ、ねじ半回転、
といった単位で、いくつもの部品を最適な状態で機能するようにしていく。

一通り調整が終わってから、自転車を外に運び出し、
いつもの鎌倉、由比ヶ浜をまわる30キロコースをスタートする。

調整がうまくいくと、走っている間、
走ること、まわりの車や道路の状況に注意を集中できる。
もし、うまくいかなかった場合、
自転車の変な動きをしている部分に注意がいって、
周りの状況が見られなくなる。

峠の曲がりくねった道で、時速70キロで下っている最中に、
どうも変速機の調子が悪いとか考えていたら、
あっと言う間に対向車線につっこんで、
気がついたときには、5m上空から血だらけの道路とパトカーと、
ひん曲がった腕を眺めていることになるだろう。

そんな調整がうまくいかないことがあった場合、
うちに戻ってから、マニュアルを見直し、
なにができていなかったのか、確認して、
そこの部品の調整を何度も何度もやってみる。

こうして、わたしは自転車については、
ほとんどの調整、修理ができるようになっていった。

高校卒業してからは、しばらく自転車に乗ることもなかった。
10年近く、本格的に自転車にさわることもなかった。
でも、東京にでてきて、どうも電車で移動するより、
自転車が速いと気づいた。
しばらくほったらかしにしていた、
古い自転車を整備し直し、普段の足として使うようにした。

自転車の微妙な調整の仕方、修理法はいまでも覚えていた。

高校時代に身につけたことは、
ずいぶんたってからも役に立っている。

今思えば、それが本当の勉強だったなと思う。

まず、走っている最中に自転車に注意を向ける必要がないように、
それぞれの部品を機能するようにするという目的があった。

勉強を進めていく上で、3つの大きな障害があると、
「学び方が分かる本」
には書いてある。

それは、

1.質量(マス・実際のもの)がない。
2.段階の飛び越し。
3.誤解語

だ。

自転車の調整と修理を学んでいたときは、
目の前に自転車と工具を用意し、
読んでは、実際やってみる。

を繰り返していた。
質量(マス・実際のもの)を目の前にしていた。
で当然用語の意味が分からないと、
理解できないので、用語解説で必ず調べていた。
それで、やりかたを身につけることができた。
自転車に関しては、知らずのうちに、勉強の技術を使っていた。

でも、当時、学校の勉強はできなかった。
ひたすら何かを暗記することが求められていた。
わたしは、それが何のためなのか分からなかった。
で、ひたすら、情報が与えられる。
実際のものはなく、その科目に出てくる
専門用語も分からないままにしていた。

で結局その科目自体、分からないままになっていた。

「勉強の技術」を当時知っていたなら、
学校でやるような勉強でも、
自転車と同じように勉強できたはずだ。

今思うと悔しい気がする。
 
わたしは、この思いを息子や、
自分の周りの人にしてほしくない。

だから、「勉強の技術」をすすめている。





関連リンク