塩素臭い汗が洗い流した青春コンプレックス

20141005

青春を取り戻したい。若い頃できなかったことやり直したい。

とか言ってきた私がまだ独身だった頃の職場の同僚の女性は、その後、業務以外の話をしなくなった。彼女は連休後に、生八ツ橋をおみやげだと同じフロアの同僚に配っていたが、私のところにはまわってこなかった。

私はかなり追い詰めるようなことを言ってしまった。

「いい年して何をマヌケなことを言っているんだ。
その取り戻したい青春って何?まずそこ具体的にしろよ。そもそもその当時、行動にうつさなかったくせして、取り戻すもクソもないだろ。取り戻せるのは持っていたものだけ。もともと持ってなかったものは取り戻すって言わねえんだよ。

ていうか、今、目の前の仕事やらなんやらをほんとに頑張ってたら、そんな昔のことどうでもいいはずじゃん。なんか余裕かましてねえか。」

ちょっと一服の時間に、自販機の前のベンチでたまたま私とふたりになり、黙っているのも気まずいので、おそらく彼女は気を使ってちょっとした話題を提供してくれてただけ。そんなニュアンスも読み取れずに、一見正しそうな理屈で彼女を追い詰めた。彼女にとってみたら、なんで休憩中にそこまで言われなくちゃいけないのかと、理解に苦しむ状況だっただろう。私はいったい何様でなにがしたかったんだろうか?

まあ、これについては、彼女が話をするのを促して、ただ聞いておくぐらいにしておけばよかったんだと思う。私が間違ったことをしていたと、今ならよく分かる。でも、なぜか、つい間違ったことをしてしまい、その時はそれが間違ってると気づけない。

自分の十代の頃のことは恥ずかしすぎて思い出したくもない、考えたくもない。ついうっかり思い出させられると、悶え苦しんで頭を抱えてうずくまってしまう。当時のことは全体的に黒くて苦しくて死にそうな気分でおおわれていた。

なんで高校生の私は登下校時や授業中も一日中サンダルで過ごしていたんだろう。それで、何か社会やら大人やらに反抗しているつもりだったのだろうか?恥ずかし過ぎる。

当時、自転車の後ろに女子をのせて二人乗りとかやってみたかった。初夏の下校時に、女子からハイって飲みかけのサイダーを渡されて飲んでみたかった。

それを実現させるために、当時の私は何かしたか?結局何もしてねえだろ。と自動的に思考が回り始めて考え始めて死にそうな気分に陥る。

若い時のできねえ、ちくしょーという鬱屈した思いはずっとどこかに残ったままで、ふとした瞬間にそれがよみがえってくる。その感情をなかったことにしようと無理やり心の奥底に押し込み、見ないようにするために目の前の仕事に打ち込む。そうやってこれまで日々をやり過ごしてきた。

それが彼女の青春がどーのこーのという話で、思わず押さえこんでいた過去を思い出しそうになってしまった。それで冷静にしていられなくなり、自分を振り返らないようにするためについ言い過ぎた。

何かの拍子に特に意図したわけでもないのにこのように失敗するというパターンを私はちょくちょく繰り返していた。このままだと、またいつか意図せず人に妙なことを言ってしまい、人が私から離れていくことになってしまう。

どうしたらいいんだろうと考えても答えは出てこない。私はますます会話が減っていき、人生がうまく行っていない気分がしていた。

しかし、それが思っても見なかったことで、状況が大きく変わることになった。

311の地震の後、放射能の影響を感じていた。地震の当日、電車が停まり、都心から郊外に向かう街道は、歩いて帰宅する人たちで列ができていた。その日は、目につく大勢の人たち一人一人は、とにかくその日のその時間を対処するために、出来る限りの行動を起こしていた。

大変な状況なのは、皆同じ。感情的になってる場合じゃないという感じで周りの人達は動いていた。

その翌日、翌々日と時間がたつに連れて、なぜか、怒っている人、泣いている人、妙に感情をむき出しにしている人が目につくようになった。うちの息子達も、兄弟喧嘩して怒鳴り散らした後に、メソメソシクシク泣いている。気がついたら私もなぜだかみじめな悲しい気分になっていた。

私も含めた周囲で急激に感情的に押し下げられた感じがしていた。ああこれがうわさに聞いていた放射能の影響だ。まずいな。どうしたらいいんだ?

それで、友人から早くやったほうがいいと勧められた解毒プログラム、ピュアリフィケーション・ランダウンを急遽行った。

このプログラムでは、身体に蓄積し精神に影響を及ぼし続ける薬物、化学物質、放射能の影響を取り除く。

放射能の影響は身体に蓄積していく。
また、薬物、食品添加物、その他各種の脂溶性の化学物質は、排出されずに人体の脂肪組織に取り込まれる。取り込まれた化学物質がその後も身体と精神に影響を与え続ける。

ドラッグをとってから何年もしてから、突然、そのドラッグをとった時と同じ感覚に襲われるフラッシュバック。それは人体の脂肪組織に取り込まれたドラッグによって引き起こされるという。

私は、二十代の前半の頃、ビールをほぼ毎晩飲んでいた。薬の類は子供の頃は、病気になればとらされていた。でも好きではないので大人になってからはとっていない。食べ物は、コンビニ弁当やら市販の保存料、食品添加物たっぷりのものは、なるべく避けるようにしていた。

だから私の身体と心に悪い影響が残っているのは、アルコールと例の放射能の影響だろうと予想していた。

プログラムでは、体を動かし、いくつもの種類の計算された量の栄養素を摂取し、サウナに入って汗を流す。それを、毎日行う。
サウナで汗を流している間、排出される化学物質やら放射線の影響が、身体にでてくることがあるとのこと。

実際、はじめて数日の間に、肌が赤くなったり、チクチク感じたりした。風邪をひいたような状態になったりした。日焼けやら、放射線の影響が身体から出てきては消えていった。

そんなことを繰り返しつつ、何日もたったある日、サウナでべとべとしたねばりけのある汗が流れていた。ツンと刺激のある匂い、塩素の匂いがした。

同時に、昔のある出来事がよみがえってきた。

学生時代、初夏のある日の放課後、学校のプールで泳いでいた。いつもの部活だったが、水が妙に白っぽかった。泳いでいる最中は特に気にしていなかったが、プールから上がってから気持ちが悪くなった。のどが猛烈に乾いたような不快な痛みと腹痛がうちに帰ってから、寝る前まで続いた。

前の晩に、いたずらされて、消毒用の塩素剤を何袋も大量にプールの中に投げ込まれていたらしい。規定を大幅に超える塩素濃度だったのだろう。

翌朝は、特に問題なかったのでいつも通り学校に行った。身体の不調はそれ以降、特になかったので、この出来事を思い出すこともなかった。

しかし、その二十年近く後になって、サウナの中でその時と同じ感覚が蘇ってきた。
しばらくその不快感が続いて、徐々に消えていった。
消えていった後は、余計な刺激がなくなった感覚があった。

当時のことを思い返してみる。夏のプール。腕と足で一定のリズムを刻み泳ぎ続ける。水底には私の影。息継ぎの瞬間に目に入ってくる水面上の水しぶき。太陽に照らされてきらきらしている。

若かった頃について、そんなに悪くなかったと思えてきた。自分がかつてやらかしていたあれこれ、恥ずかしいことに変わりはないが、そこからひどく影響を受けて落ち込んだり、頭を抱えてうずくまったりすることはない。それはそれ。もう済んだこと。大事なのはこれから何をするかだ。と理性的に考えられる。

息子が休み中に女の子二人とプールに行ってきたという。

なんだって?

今からそんなことをしていたら、勉強に差し支える。
教育上問題だとかなんとか、叱ったりはしないかった。

そりゃよかったな。楽しかったか?

ピュアリフが終わっていなかったら、こんな普通の会話もできてなかったかもしれない。

もちろん、親として見ておかなくてはいけない部分もある。

でもとにかく、彼の青春を取り上げずにすんでよかった。

 

参照文献:

ピュアリフィケーションランダウンについての詳細は
書籍「クリアーな身体、クリアーな心」から

人の記憶の全体象について、
理性的な思考の定義。
正しいとはどういうことなのか?
本来、人はどれほどの能力を持っているのか?
そして、理性から外れる逸脱した思考を引き起こす根本的な原因については。
書籍「ダイアネティックス」から

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