仕事を終えた帰り道。夕暮れのほとんど沈んでいる太陽からわずかな光が徐々に消えていく時間。
今日もいつもと変わらない一日だった。
このままで大丈夫か?
もっとがんばらないといけないのか?
子供の頃から気がつくとこんな感覚にとらわれていた。
別に差し迫った問題があるわけではないが、漠然とした不安が常に自分の周りに覆い被さっていた。
帰る途中のコンビニでワンカップ酒とおつまみを買う。
これで大丈夫だととりあえず不安がおさまる。
うちに帰って飲んで酔っ払ってネットの動画でも見ていれば、あまり深く考えずに済む。
それで軽く酔ったまま寝て、朝起きてまた仕事に向かう。
その繰り返し。
もっとがんばらないと。このままで大丈夫か?
という不安が少しずつ大きくなっていくが、何かやりたいことがあるわけでもなく、仕事を辞める理由もなく、かといって続ける理由もあまりない。
この消えない漠然とした不安をどうしたらいいのかという疑問だけが残ったままだった。
そんな中、ダイアネティックスのオーディティングを受ける機会があった。
オーディティングを行うオーディターの指示で、
「このままで大丈夫か。このままで大丈夫か。このままで大丈夫か。」
と繰り返したら突然右腕が痛みだした。
痛くて苦しい。さらにひりひりする。
そしてある出来事がよみがえってきた。
昔子供の頃のある夕方、親戚が集まってバーベキューをしていた。
私はそこでつまずいて転んだ。
そしてコンロにぶつかってやけどした。
その時の情景の映像を繰り返し繰り返し話す。
そこでだんだんわかってきたこと。
「このままで大丈夫か?」
心配している父が声をかけてきている。
「がんばれ!がんばらないとだめ!」
と母が私をはげましている。
叔父がワンカップ酒を片手に持って、やけどにかけて、
「これで大丈夫。」
とか言っている。
お酒でアルコール消毒のつもりだったらしい。
ひりひりする強烈な痛みが続いたが、出来事をはじめから終わりまで通して繰り返すうちに痛みが消えた。
そして彼らからそのときにかけられた言葉から自分がずっと影響を受けていたことに気がつき、そのあまりのばかばかしさに笑いがとまらなくなった。
それでオーディティングは終わりになった。
その後、仕事の帰り道、いつものように夕陽の光がゆっくりと消えつつあるのをただ見ていた。
でも、以前はあったつらさ、不安、しんどさがない。
不安に対してがんばって乗り越えようとか、努力して注意を向けないようにする必要もなく、ただ単にその不安がない。
以前はもやもやした不安感の中にいて、それを通して周りを見ていた。
今は目の前の景色をただ見ている。そしてその景色の美しさを感じることができる。
景色自体が変わったわけではなく自分が変わってそのせいで、周りをただそのまま見られるようになっている。
ワンカップ酒を飲みたいという欲求もなくなった。
おじさんっぽいあの酒が自分は好きなんだと思い込んでいたが、ワンカップ酒が好きだったのは親戚のおじさんで、自分ではなかった。
酔ってないので夜、頭が働く。
ネットで何か売ってみようかとか考え始めた。
会社で、なぜか突然部下ができて、ある仕事を全面的に任されることになった。
無理に力を入れることなく自然に前向きになっている自分が不思議だ。
※上記のストーリーはオーディティングを受けられたある方の話を元に再構成したものです。