運悪く人の能力を抑えつけ失敗させる指導者がついてしまい、楽しめたはずの車の運転やらスポーツが長年消えることのない苦痛になる。

決まったことを型通り伝えて、生徒にやらせるだけ。

生徒がなかなかできかったりうまくいかないことを、自分の教え方ではなく生徒のせいにする。

教えた結果どうなったかを観察しない。できない。その必要性もない。
生徒の能力の向上ではなく、自分は間違ってない、悪いのは生徒だ主張することに全力を使う。

だから、なんでできないんだ!などと怒鳴り散らして責め立てても生徒が悪いのだから問題ないという怒鳴っている本人は自覚がない思考回路。

そんな先生や教官、インストラクター、上司がついてしまったら、運が悪かったと思うしかない。

その人のそばにいると、自分の能力が劣っていて才能がないから自分が悪いんだと落ち込んでいくことになる。

避けられるのであれば、避けるのが無難。

例えば、なぜか長縄飛びに熱心なある小学校の先生。

クラス対抗の大会に向けて練習するが、毎回引っかかってしまう子が2名。

彼らに対して、何やってんだと怒鳴りつけ、休み時間と放課後に残して練習させる。

帰りたいのに残ってやらされる上に、さらに足に長縄がひっかかる度に何やってんだ、おまえらが足をひっぱってるんだ。やる気あるのかと怒鳴りつけられる。

彼らはおこられるのが怖くてますます動きが硬くなり、周りが見えなくなり、縄跳びはとべないまま時間が過ぎていく。

彼らは周りの足を引っ張ってるのはよく分かってるし、なんとかしたいと思ってるんだけどうまくできないから焦ってしまう。

そんな状態で、さらにそこで怒鳴られてますます萎縮する。

その悪循環。

もうやりたくない、関わりたくないという気持ちになる。

運動嫌いのできあがりである。

時々耳に入ってくる自動車教習所の教官の悪評。
言われたことをやりなさいと押しつけてくる教官がいてつらい。合わない。その自動車教習所をやめたい。でも高いお金を払っているからいまさらやめる訳にもいかない。とある方が話していた。

何かを教える仕事を続けていると陥りがちな状況がある。外からのチェックが入らない。指導してどうなったか結果を厳しく問われることもない。何もしなくても座っていれば生徒が常にどこかから入ってくる。

それであれば、ただ流れ作業的に型通りのことを言い、機械的に行わせるだけですむ。それ以上のことをする必要も必要性もない。

ただ決められたカリキュラムをこなさせていく。

それだけだったらまだ被害は少ないのだが、生徒の失敗、ミス、意図せず違ったことをしてしまったことに対して、なにやってんだと怒鳴りつける。

そもそも、生徒さんははじめてそれをするわけで、間違えるのが当然の状況。生徒さんはおっかなびっくりやっていて、それで間違えて動揺している上に、教官から強い口調でなにやってんだと責められる。

怒鳴られるのが怖いので、言われたことをそのままやるが、自分が何をやっているのか理解していない。

ハンドルを切る動作、窓とミラーから見える景色を見て、カーブの具合に合わせて操作するのではなく、曲がるときにはハンドルをこれだけ回す。でカーブをぬけた先の目印のところですぐにハンドルを戻す。などと、決まった型を作ってその通り行ってその場は切り抜ける。

運転席が右側にあるために、車の左側の状況が見えない。そのために車がどこを走っているかが分からない。でも言われたとおりやっていたらなんとなく走れてはいる。

教習所内での技能試験には合格して免許はとれた。

でも怖くて都会の道は走れない。

ペーパードライバーのできあがりである。

結果を出せるよい指導者がやってる7つのこと。

1.生徒がなかなか向上できないのだとしたら、100%とまでは言わないが最低でも半分は指導者である自分に責任があると考えられる。

2.生徒を観察して何が起こっているのか見ることができる。

3.その上で、生徒の理解と習得の度合いに応じた適切な段階を設定することができる。

4.適切な段階の問題にぶち当たらせて、問題を認識させた上で解決策を伝える。

5.伝えたいことを相手の持つリアリティに合わせて、言葉を選んで様々なやり方でとにかく伝わるまで何度でも繰り返すことができる。

6.そのために生徒の無能力さがどれほどであろうと耐えて受け入れることができる。

7.自分の正しさを主張することでも、イライラした感情をぶつけることでもなく、生徒の能力を向上させようという意図を持っている。

そういう指導者、先生、インストラクターと出会える場所を作りたいとか考えていたが、そんな人は実際どこにいるのか?

とか考えていたら、いた。

仕事の関係で、車の運転をときわ台カースクールという自動車教習所で教わる機会があった。

そこのインストラクターがものすごかった。

ぐるぐるコースを周回していたら、走行位置が右に寄る癖がありますねとの指摘があった。

自分では自覚はなかった。

そこで静かに言われたこと。

右カーブでセンターラインずっと見てますよねえ。
カーブする時、カーブの先を見てもらえますか?

指摘されて、確かに自分はセンターラインだけ見ていたことに気づき、カーブの先を見ながら、運転してみた。

するとあれ?さっきとだいぶ違う。

今は自分が道のカーブ具合に合わせてハンドルの回し方を微妙に調整している。

さっきまでは、センターラインを見ながらカーブの始まりと終わりを見てそれに合わせてハンドルを回していた。

思わずああ!そうか!!と。声がでてしまった。

そこでインストラクターが

今わかりましたよね。
これまでは、センターラインを目印にして決まったところでハンドルを回していたけど、今は道の曲がり具合に合わせてハンドルを調整してますよね。これで車を操作できているわけで、運転が楽しくなってくるところですよ。

問題を認識させ、その解決策を伝え、実行させる。

自分が問題だと思っていないことを問題だと意識させ、じゃあどうしたらいいのかと疑問をもたせ、その上で解決策を提示して実行させる。

それで、理屈だけではなく理解した瞬間に実際の動かし方が一瞬で変わる。

なるほど!!そういうことか!!

と何度か気づかされ、気づいた時点で要求されたことができるようになっている。

その流れがあまりにもスムーズで、淡々と進んでいく。

人生や生き方を学ぶのであれば、周囲の人たちの誰をも師と考えても構わないとは思うが、車の運転を習うのであれば、良いインストラクターを見つけるのが早い。

それはADHDでも発達障害でもなく「子供」だ

実際に起きている現象はある。でも起きていることに名前をつけたところで、解決につながらないのであれば意味はない。それはただのレッテル。

いろんな問題があるように見えるかもしれない。

注意を向けたところにエネルギーが注がれる。

できないところ、問題点に注意を向けると、そのできなさ、問題が増幅していく。だからそれはいつまでも続いて強固なものになっていってしまう。

落ち着きのない子供。周りの大人は扱いに困る。座っていられない。周囲の子供たちとすぐにぶつかり合ってけんかする。いやがられることで大人の注意を引くことに一生懸命。

何が問題なのか?
あげていくといくつも問題は出てくる。
たくさん問題があるように見える。

発達に問題がある。だから発達障害だとか、行動が多すぎるだから多動だとか、もっともらしく聞こえるが、実際のところ、何も言っていない。
その状況を引き起こしている原因と解決策を示していない。
なんとなく脳に問題があるかのように言っている人はいるが、それを証明した人はどこにもいない。脳に問題があるという根拠はどこにもない。
思い込みと憶測が積み重なってそれが事実かのように言われているが、脳が機能しているところを見たことがある人はいない。何が正常な状態なのか、何が異常な状態なのか、明確に定義づけられているわけでもない。

実際のところ何が問題なのか?

寝不足だったり食事が偏っていたり、充分でなかったりといった身体の問題はある。それはそれで注意しなくてはいけない。

身体の問題については対処したとして、根本的には、たどっていくとすべてはコミュニケーションの問題にいきつく。

その子と他の生徒、先生との間で、コミュニケーションがまともに成立しない。何か聞いたとして、答えが返ってくるまでにやたら時間がかかったり、返ってこなかったり。

なぜコミュニケーションがおかしくなるのか?

一番根本的な原因は、コミュニケーションにおいて使われている言葉が理解されていなかったり誤解されているから。
だから、その誤解を解いて理解させてあげればいい。

ただ、それができるようになるまでには、お互いの信頼関係が成り立っていることが必要。

個人塾をやっている友人の話。

ある小学生の女の子。

薬は良くないということは分かっていた。
薬をとっていなかったことはよかった。

とにかく、まずはコミュニケーションをとる。
彼女の話を聞く。聞いたら受け取ったことを伝える。
それからこちらから彼女が受け取れる形で話をする。

そこでわかったこと。
ものすごく集中力に欠ける。何か聞いたとしても、すぐに注意があっちこっちの関係ないところに飛び、答えが返ってこない。

とにかく語彙が少なく、変な誤解がたくさんある。
「とうふ」はなぜかわからないが「こおり」なのだそうだ。

ひとつひとつ言葉の誤解を解いていくことをしばらく続けていたら、彼女は変わってきた。

だんだんとお互いにコミュニケーションが成立するようになってきた。

最近の出来事。

「ひっぱる」の意味を理解した。

あっわかったあああああ!!!!

それで、ああこれはやっちゃだめだ。と自分が今までしてきたことが、周りにとってよくなかったことに自分で気がついた。

クラブ活動で走り高跳びを自分で決めてやろうとしていた。でもどうしてもうまく跳べなくてもうやらない!!!!!となっていた。
そこで、

あなたは、自分でやろうとしていて、とべるようになるのが目的で、今ここで止まっていてできないできないって言ってる。どうするの?

って彼女の状況を彼女に分かるように話した。

で、そこで見つかったこと。「右」と「左」がなんなのか分かってなかった。

それを理解した瞬間にあああああああっ!!!!となって、
先生に言われた足の動かし方、1,2,3で右足をあげてということがどうすることなのかを一瞬で理解してできるようになった。

そうしたら、先生今日は何やりたいの?

と聞いてきた。

またコンパスを使って円を描いて欲しいの。

これまで何度も描こうとしてきたが、どうしてもうまくできないでいたこと。

それが彼女は、ものすごい勢いでコンパスと定規を使って、自分で半径3cmの円を描いた。

できるとは思っていなかったことが、できるようになってそのことに彼女自身が驚いていた。

言葉を理解すると行動が回復する。
解決策はここに。

学び方がわかる本

あなたはバカじゃない

自分は頭が悪いと主張する生徒さんがいた。言ってくることに対して、甘ったれてんじゃねえよと叱ったところで、どうせ自分はダメなのでとさらに自分を落とし始めることになる。どこにも行きつかない。

「頭わるいし、才能ないし、興味も持てない。自分バカなんで。」

勉強ができない理由を考えようと思えば、いくらでも考えられる。
問題はやるかやらないかで、できない理由とかどうでもいい。理由考えるより、どうしたらできるのか、とにかくやってみようよ。うまくいかせるためのやり方はあるし、それは伝えられる。だからまずはやってくれ。結局できない理由なんてのは、やらない言い訳でしかない。
などと正論を述べたところで、自分はバカだと思い込んでやらないで済むように自分を守っている彼には届かない。

「そもそも親のレベルが低いんだから自分がこうなのは仕方ない。」

「先生の教え方が悪い。学校が悪い。教育制度が間違っている。」

親も先生も完璧じゃないし、いつも正しいわけでもない。ただ、先に生まれて知っていること経験してきたことはある。それを生かすのもほっとくのも自分次第だし、年をとるごとにきついことを言ってくれる人はいなくなっていく。何か言ってくれるのであれば、それはありがたいことだ。
教育制度が変更され続けているのは、それが時代の状況に合わなくなっていたり、社会の中で教育機関に求められていることと実態がずれているからで、それが何かしら良い方向に向けるために試行錯誤があって変えられているのであれば、悪くはないだろう。学校の先生をはじめ教育に関わる心ある人は、いろいろ難しい状況がある中で自分の持ち場でできる限りの努力をしている。
なんだって人のせいにすることはできる。まわりのせいにしておけば、自分は責任を取らずに済む。楽な道だ。でも、結局自分ができないでいることの結果を引き受けることになるのは自分だ。

などと反論しようもない正論を色々と述べてみても、またまたできない理由が出てくる。

「脳に欠陥がある。なんとか障害かもしれない。病気かもしれない。」

不安に感じてうっかり専門家の手にかかったら、診断マニュアルに従った科学的根拠があるように見せかけたそれっぽい病名をつけられる。ディスレクシアとか発達障害とかなんとか障害とか。それでああ自分は病気なんだと病名をつけられて安心したところで、自分の人生から逃げられるわけでもない。

こんな話をしたところで、意地でも、自分はバカだから勉強は無理だ。と言ってくる。延々とできない理由が出てくる。それだけいろんな理由が出てくるんだから、十分頭は働いてる気がするが、付き合うだけ時間の無駄。

別にそれは正しいとか間違っているとか議論したいわけでも議論に勝ちたいわけでもない。勉強ができないのであれば、できるようになってもらいたいだけ。それが目的。私が議論に勝ったとしても、彼が勉強できるようになるわけではない。

とにかく数学の成績がひどいので何とかしたいという気持ちはわずかながらある。ならば数学、算数で段階を下げて、以前できていたというところから、順番に練習させていく。何年も前にやっていた段階に戻す必要があるかもしれない。とにかくできていたのはどこまでなのかを見つける。

意味があやふやだったり、
知らない用語は、理解できるように手伝う。
数学だったら特に記号の意味が重要。
+、ー、=などなど
これが何を意味しているのか、
いつも使ってるからわかったつもりになっているけど、
「=」
が何を意味しているのか、なんとなくわかったつもりでいて、十分な理解がないから、ただの計算式と方程式を混乱させてしまったりする。

一つ一つ用語と記号の意味を理解させた上で、何かの問題が解ける度に、

すげーよ。できたじゃんか!!

と言う。いちいち言う。毎回毎回しつこく言う。

慣れないうちはムッとされたりと予想外の反応が返ってくることもある。でも、そんな態度を取っていたとしても、言い続ける。

本人が意地でも自分はできないと思い込んでいるのは、
周りからダメだダメだできないできない
と繰り返し繰り返し繰り返し言われ続けた結果。
小さい頃から誰か身近な人に、ダメだ、できないなどなど否定的なことを言われて続けたら、自分はダメなんだと思い込んでしまう。

最初は、些細だったり簡単なことでいいので、自分はできるってことに自分で気がつくよう仕向けていく。

それができたら、できることの量や質を少しづつ増やしていく。

一人一人の様子を見つつ、引っ張りあげていく作業で、手間はかかる。

でも、最後には自分で勉強を進められるようになっていく。

なにか、結果を出さなくてはいけない状況で、
病気だとか脳に問題があるとか、才能がないなどなど、
理由を考えたところで、どこにも行き着かない。

自分がバカだと言うのは元々は誰かが言ってきた意見であって、事実ではない。

あなたは、バカじゃない。

やり方を知らないだけ。

勉強のやり方については、こちら。

医者の意見じゃなくて、子供の意志と能力を信じた。発達障害、ADHDは嘘

3年ぶりに会った中学生の男の子。小学校では支援学級に通っていたが、中学に上がる時、普通級に移った。これは前例のないことだという。

彼が小学生になったばかりの頃、私は彼の勉強を見ていた。

なんでこれをやるんですか?

何か新しいことを始めるたびに聞いてくる。

細かいことにこだわってよく質問してくる。

ひらがな、カタカナがまだ書けない。変な風に書いてしまう。周りの子達はもうできるのにできない。

お母さんは心配されていた。

就学時前検診で、発達に障害があるとみなされる。
お子さんの今後のために支援学級をお勧めします。とやんわりと圧力がかけられた。

地域によって検診のやり方は違う。

彼の地域では、50分、子供と医師の一対一で面談、テストする。
それで、障害の有無、可能性を判定するという。

そんな、いつもと全く違う環境で初対面の大人にお母さんと離れて一人で面談。子供は緊張する。そんな中あれこれ聞き出され、テストされ、普段とは違う対応をしてしまうだろう。

その医師と名乗る専門家が子供をチェックする内容。発達障害、ADHDの根拠とされる子供の振る舞い。

年齢で学習の遅れ、能力の偏り、言動が幼稚だとか大人びているとか、言い間違えが多いなどなど。

彼のどの部分が問題とされたのかはわからない。でも結果として支援教室に通うことになった。

彼は元気な男の子だった。勉強という部分では同学年の大部分の子と比べれば遅れているようには見える。

でも、その時点で、ひらがなやカタカナを完全に書けなかろうが、いずれどこかの時点で書けるようになる。他の子と比べるんじゃなくて、昨日の自分、先週の自分、先月の自分と比べてどうか?少しでも学んでできるようになったことが増えているなら、問題ない。

質問が多くて、自分で納得しないと言ったことをやろうとしないのは、それは自分の軸があって自分で判断して決められるってことなわけで、それは良いことではないですか。何も疑問に思わずに、ただ言われたことに従っていれば、良い子とみなされたりするけど、そっちの方が実は問題は大きいかもしれない。

発達障害とか、ADHDという名称はあるけど、それは医者がそう言っているだけの話で本当はそんなものはない。本人の意志をうまく方向付けしてあげて、それで「学び方がわかる本」の勉強の技術に沿って、彼が自分で学んでいけるようにしていけばいいだけのこと。

と当時彼のお母さんに話をした。

大人の世界に染まっていない子供。社会的に抑えつけられていない分、エネルギーがある。しかしもちろん知らないことできないことがある。理解できないことに次々に出くわす状況の中、腹を立てたり、気分がひどく落ち込んだりすることもある。暴れてものに当たって、壁を蹴って殴ってと行動がエスカレートする子も中にはいる。

そこで、これは何か障害があるのではないか、病気ではないかと医者に相談すると、お薬での治療をということになる。

薬を取るとどうなるか。
薬は基本的に知覚を鈍らせる。今、目の前で起きていることが見えなくなる。

ある女の子。苦手な算数をなんとかしたいということだった。でも勉強に取り組めない。やりたくない。どうしたのかと聞くと、担任の先生がひどい。それで気分が悪い。何があったのか具体的な事情を聞く。ほとんどの場合、そこでしっかり話をさせて、聞いてあげられれば、勉強に取り組めるようになる。

でもその子は、話が延々と終わらない。泣いて腹をたてる。これが、毎回毎回何度も続く。何かおかしいとよくよく聞いてみると、精神薬を取っていることが判明した。

薬は知覚を鈍らせる。目の前のことが見えなくなる。そして、今、目の前の状況とは関係なく、以前の起きた様々な出来事が関係のない時に突然よみがえってきて、その時の腹立ちやら悲しみといった感情が抑えられなくなったりする。

結局、薬による反応をなんとかしない限り、勉強に取り組むのは難しい。
起きている身体的、心理的な反応が勉強の障害にぶつかったためのものなのか、薬のせいで起きているのかがわからない。

発達障害の原因は脳に何らかの異常があるという科学を装った根拠のない嘘。生きて活動している人間の脳を見た人は誰もいない。

問題が解決しないのだとしたら、それは正しい原因ではない。

普段の生活で問題がある可能性はある。食事、薬、睡眠、両親の関係などなど。それは、見つけ出して解決しなくてはいけない。

本当の問題は、周りの人が、実際に、その子とコミュニケーションが取れていないこと。勉強の面について言えば、彼とコミュニケーションをとった上で、実際に何に引っかかっているのかを見つけられないこと。

子供が腹を立てていたり、ぼーっと上の空になっていたり、じっと座っていられなかったり、ヒステリックに叫び出したり、とにかく、いろんなことが起きて、何かおかしいという状況はある。それは発達障害だから、ADHDだから、脳に障害があるからというのは、起きていることの理由にはなっていない。起きている症状にレッテルを貼っているだけ。

勉強させていて起きるこれらのこと、ちょっとしたことから、激しくヒステリックになってるような大変なことまで、私は、「学び方がわかる本」にあるアメリカの教育者L.ロン・ハバード氏による勉強の技術で対処してきた。
こういった現象は、障害とか病気で起こるわけではない。勉強していく上でぶつかる壁によって引き起こされる。その壁は3種類あり、それぞれ解決法がある。

中学生になった彼、風呂の水をためる時間の問題を前にして、

これはなんの役に立つんですか?

と聞いてきた。
聞いてくるところは昔と変わっていなかった。

だから、比例の計算を役に立てる彼が身近に感じられるであろう実際の例をいくつか話した。

例えば、今、ガソリンが大体1リットル100円するんだよ。1リットルで車が10キロ走れるとして、1000円あったら、車でどこまで行けると思う?

などなど。彼は納得して問題を解き始めた。

理解していた。

わかっていないことをわかっていて、ちゃんと質問して解決できる。

彼は大丈夫だ。問題ない。

お母さん、周囲の理解の無さと戦い続けた。
だから、彼は自分の人生を生きられる。

問題はディスレクシアでも頭でも脳でもなくて、理解する正しい方法を知らないこと

見知らぬ番号からの着信があった。
折り返すと、「学び方がわかる本」を注文したいとのこと。
なにかお困りのことがあるのですかと聞いた。

お孫さんに問題がある。本はたくさん読むんだけど、好きなことだけ。落ち着きが無い。好きな勉強はできる。何かおかしいのよねえ。ディスレクシアとかADHDなんじゃないか。病院に行かせる話もしてたんだけど、娘はそれは必要ないと薬は飲んでないですよ。とのこと。

何が問題なのだろうか?
好きなことを自分の意志で勉強できてるんだからそれでよいではないか。と思いながらも話を聞いた。

薬を飲んでないのはよかったです。薬はダメですよ。勉強で何か問題があるのなら、この本に解決法があります。集中できないとか、イライラするとか、それぞれ個別の原因があって解決できるので、まずは「学び方がわかる本」読んでみてください。

と話して本を今日中に発送するとお伝えして電話を切った。

ここ最近、急に「学び方がわかる本」の注文が増えている。なにがあったのかと調べたら、テレビでディスレクシアの特集があったらしい。ディスレクシアといえばハリウッド俳優のトム・クルーズもそうだったと言われている。

彼は子供時代、アメリカとカナダで多くの学校を転々とする中、ディスレクシアだと診断された。何かを読もうとすると文を逆に読んだり、不安になったり、頭痛がする、ページの終わりまできても何を読んだのかまったく思い出せない。だから脚本も読めなかった。わかってるふりをし続ける。丸暗記して無理やり対処してきたが、理解しているわけではなかった。

飛行機のパイロットになるのが子供の頃からの夢だった。でも、航空学校に行ってレッスンを受けて一日であきらめた。自分には無理だ。

様々な手段を試した。速読だったりいろいろな個人指導を受けた。最後に出会ったのがアメリカの作家、教育者であるL.ロン・ハバード氏による「勉強の技術」
彼はこれを使って、パイロットになった。乗客を乗せて飛ぶこともできる。さらには映画のプロデューサーで映画会社を持ち、他にも会社を経営している。もちろん、俳優として大成功を収めている。

彼は、以前来日した際に当時の小泉首相に「学び方がわかる本」を渡した。
彼はディスレクシアだの学習障害だのとされてしまう読み書き能力のなさを、この本にある「勉強の技術」によって解決できることを伝えたかったのだ。

イライラしているのか、頭痛がしているのか、集中できないのか。起きていることにはそれぞれ原因がある。

ひとまとめに脳に問題があってそれは病気だとしたところで、解決にはつながらない。医者が出す薬は覚醒剤に類似した物質。飲んでぼーっとしておとなしくなったところで、読み書きできるようになるわけではない。読み書きに問題を抱えてしまうことについて、それが脳の問題だという証拠はない。証明した人はいない。子供の才能と個性を薬で潰してはいけない。

子供の才能を伸ばすための本当の意味での解決策があります。